4-1・被災地で手にした使命感
この章では、あなたが一歩を踏み出すために、私が最も強くお勧めしたい考え方をお伝えしていきます。
4年以上前。私は、自分の名前で発信することができない臆病者でした。
「自分の意見を発信したいが、誰かを傷つけてしまうのが怖い」
「文章を否定されたことがあり、そのことが忘れられない」
「続けるのは面倒だし、なかなか一歩が踏み出せない」
そんな理由をつけては、発信するのを踏み止どまっていました。
転機は、東日本大震災発生後3ヶ月目に訪れた宮城県石巻市の惨状と、偶然時間を共にした一人の女性との出会いです。
「ここで聞いたこと、見たことを、微力でもいいから世の中に伝えていこう。合わせて、『東日本大震災を忘れない』というメッセージを被災地に送り続けよう」。
この日から、私は少しずつではありますが、自分の名前で発信できるようになりました。そして、自分ではその変化の要因を「勇気」だと認識していました。
それまで出せなかった勇気を、被災地と被災者の方々からいただいた。自分の発信の原動力はそこにあると信じていました。
でも振り返ってみて、そうではない気がしてきました。
知人に、「仕事しながら、どうしたらコツコツ続けられるの?」といったことを聞かれることがあります。
このブログを書き始めるまで、自分でもその理由が明確になってはいませんでした。
「高校時代、部活を途中で辞めたから、今度こそ納得するまで一つのことをやり切りたい」
「周りに、続けることを約束したから」
「もともとライターをやっていて、書くことは苦にならなかったから」
そんな理由を提示してはいましたが、なんとなく根底には別の理由がある気がしていました。
「勇気」だけで4年間も発信が続けられただろうか。
私の先輩に遠藤崇之さんという方がいます。遠藤さんは本業の傍ら、コーチングという対人スキルを活かして、講演や個人的なセッションなど多方面で活躍されています。
私も前作を書くときから、遠藤さんによくフィードバックをもらっており、今回のテーマを決める際も、この根底にあるものについて議論をさせてもらいました。
「そもそも花木さんの『勇気』を支えているものがあると思うんですよね。それは何だと思いますか?」
勇気を支えているもの??
その日から丸2日間くらい考えました。
活動初期の自分に度々アクセスしてみました。そしてたどり着いた結論が、「使命感」でした。
「ここで聞いたこと、見たことを、微力でもいいから世の中に伝えていこう。合わせて、『東日本大震災を忘れない』というメッセージを被災地に送り続けよう」。
4年前の私は、そんな小さな小さな使命感を手にしました。「この発信は、首都圏にいる私にだからこそできるはず」。そんな微力ながらも力強い使命感です。
この感覚が芽生えたからこそ、石巻訪問から数ヶ月後、私はボランティアライターとしての活動を始めるようになったのだ、ということに改めて気づかされました。
遠藤さんとのセッションを通じて、「この『使命感』という感覚を自ら生み出すことができるようになれば、多くの人が今まで以上に発信できるようになるんじゃないか』と考えるようになり、ブログにまとめることにしました。
では、次節では、私の指し示す「使命感」がどのような感覚なのかについて、対照的な感覚である「義務感」を引き合いに説明していきます。
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